「絵が描けなければ・・」という圧力


「絵が描けなければいいCGは作れない。」

というのは、CG界隈では有名な話。

んなわけないが描けるにこしたことはない。これは、CGを志すものにとっては常識。

しかし、もやは常識となってしまったこの事実をあいもかわらず得意げに語っている人達ってのは後を絶たない。

あまりにも、使い古されたこの言葉に、正直うんざりしている人もいるのではないだろうか。もう、その言い分は十分わかったから。そろそろ別な視点でCGの可能性を探ってみないか?

CGアニメーションというのは、2Dアニメと違って、絵はコンピュータが出力してくれる。絵のうまさやデッサン力ってのは、モデリングのうまさだとか、人にイメージを伝えるものだとか空間を把握しよりよい演出が出来るということのサポートとして必要になってくる。

絶対的に必要なものではなく、あくまでサポートだ。

特に「キャラを動かす」ことについては、その必要度は低い。3DCGのキャラモーションは絵がうまくなくても、成り立つのだ。これは2Dキャラアニメとの決定的な違いであり、最大の強みだ。

このCGの長所はもっと注目されてもいいのではないだろうか。絵が描けずとも、素晴らしいアニメーション(モーション)を作っている人はたくさんいる。

私は多少なりとも絵が描けるが、私より断然評価されている二人のモーションデザイナーは絵がかけない。せいぜい棒人間くらいなものだ。

彼らは絵がかけない分、動かすことで自分を表現しようとしている。彼らの前で、「絵が描けなければ〜」なんてことは言えない。その人達の可能性を否定することになるし、何より、彼らより結果を残せていない自分が無様に見えるから。

それに、そもそもこの言葉自体、否定性が前面に押し出されていて好かない。*1 もし言うのなら「絵が描けるともっといいものが出来る」のほうが断然いい。

海外のCGアニメーターは絵がかけることが大前提だ。それはCGアニメーターを目指すものが有り余っている国だからこそできる贅沢な履歴書フィルターだ。そんなCGアニメーターの可能性を狭める大前提など、今の日本が真似する必要はない。

絵がうまくなければマンガは描けないか? 有名大学を出ていなければ、人を感動させることは出来ないのか? 絵がうまくないからを、いいわけにしてないか? 我々CGアニメーターの目的は、絵をうまく描くことか?

絵の質やデッサン力はあくまで手段だ。大事な事を見失ってはけない。静止画が目的ではない、動画が目的なのだ。絵がうまくかけないことで、モーションデザイナーとしての自信や誇りを失う必要はまったくない。

モーションデザイナーの目指すべきものは「絵>モーション」 ではない「モーション>絵」 だ!

「絵が描けなければいいモデリングは出来ない」という圧力は、認めても
「絵が描けなければいいモーションは出来ない」という圧力は、私は認めない。

*1:私が言うのもなんだが